知る術がないという幸せをネトフリで。

2018/2/3

「家にテレビがありません」

という人は普通にどこにでもいるというか、

この時代に増えてきている人種だと思う。

必要な情報は自分で選んで、不要な情報は都合良く排除できる。

テレビなし生活を始めて数ヶ月が経った今、

ネトフリさえあれば好きなものを観たい時に観たい分だけ観られる。

大変便利で効率がよく、無駄がない。

ただ、どこまでも盲目で自己中心的な選択をしている感じがする。

予想外の出会いはなく、自分が思い描いたままの思考をなぞって、

突然のニュースに胸を痛めることもなくなり、

世界の動向は昔話みたいに関係がないと思い込んでいるような。

もうすこし小さいことを言えば、

翌日の天気を知らずに雨に降られてしまった時には

興味の有無に関係なく永遠と情報を流し続ける存在が重要なものに感じられる。

じゃあテレビを買うのかと言われればそうではなくて、

別にどっちでもいいかなって話なんですけど。

うっすら想像するのは、

例えば、テレビを所持していなかったが為に

世界最後の日が訪れるニュースを知ることができずに

無知のままあっけなく日常が終わったとしたら、

それはそれで幸せなのではないかな、と。

情報を知ることが至極で最善だと考えてしまいがちだけれど、

その逆に「知る術がない幸せ」も同時に存在してるはずだよなあ。

そんだけ。